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2009年12月16日 (水) | Edit |
真言宗の流れ

高野山金剛峯寺 本堂

平安時代初期、空海(弘法大師)によって
唐より伝えられた真言密教は、真言宗として発展し
空海の入定後も、高野山や東寺等を中心に
多くの名僧を輩出し、全国に広まった。
そして、その一方で多くの法流に分裂していった。

大きく分けると、新義真言宗と古義真言宗となる。
新義真言宗は、興教大師覚鑁(かくばん)に始まる法流である。
高野山座主であった覚鑁は、高野山の衆徒たちとの対立で
高野山をおりて、根来寺に活動の場を移した。
現在では、真言宗智山派(総本山 智積院)、
真言宗豊山派(総本山 長谷寺)、そして根来寺を総本山とする
新義真言宗の三つがその流れをくむ。

豊山派総本山 長谷寺
(豊山派総本山 長谷寺)

新義真言宗に対し高野山に残った流れを、古義真言宗と呼ぶ。
高野山真言宗(総本山 金剛峯寺)、真言宗醍醐派(総本山 醍醐寺)
東寺真言宗(総本山 東寺)、真言宗泉湧寺派(総本山 泉湧寺)
真言宗山階派(総本山 勧修寺)、真言宗御室派(総本山 仁和寺)
真言宗大覚寺派(総本山 大覚寺)、真言宗善通寺派(総本山 善通寺)
真言律宗(総本山 西大寺)、等。



東寺真言宗総本山 東寺
(東寺真言宗総本山 東寺)

しかし、新義真言宗も古義真言宗も、ともに真言宗であり
空海(弘法大師)の思想を受け継いでいるので
大きな違いがあるわけではない。

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不明

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2009年12月12日 (土) | Edit |
医王山 大窪寺(いおうざん おおくぼじ)
●本尊/薬師如来
●真言/おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

本堂

●宗派/真言宗大覚寺派 ●開基/行基

香川県さぬき市多和兼割96
八十七番札所から約17km歩くと約4時間
駐車場50台(無料)境内まで徒歩2分

遍路の締めくくりの「結願寺(けちがんじ)」
深山の木々に包まれた境内は、春は桜
初夏には藤、秋は紅葉、冬は雪景色と
四季折々に美しい。が、冬には道路が
凍結することもあるので注意!

凍結手水
※1月に行ったときの手水

養老年間に行基が堂を建立したのが始まりとされる。
その後弘法大師が薬師如来を刻んで本尊とした。
この時大師は、唐の恵果和尚から授かった
三国(インド・唐・日本)伝来の錫杖も納めている。

山門

多くの信者を集め、僧坊も100を超えるほどだったという。
また早くから女性の入山を許したので「女人高野」とも呼ばれ
栄えていたが、天正の兵火で焼失。
その後、高松藩主が再興したが、明治33年の火災で
堂塔を焼失。二天門を除く建物はその後再建されたもの。
本尊はホラ貝を持った珍しい薬師如来で、ホラ貝で
すべての厄難諸病を吹き払うという。



八十八番札所の納経
八十八番札所の納経

☆一口メモ/奉納金剛杖
         境内には、結願したお遍路さんが
         奉納した金剛杖や菅笠が大量に置かれている。
         これは88の札所を無事巡り終えた証でもある。
       
        結願証明書
         納経所で申し込めば結願証明書を発行してくれる。
         
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(1999/11)
西川 阿羅漢

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2009年12月08日 (火) | Edit |
補陀洛山 長尾寺(ふだらくさん ながおじ)
●本尊/聖観世音菩薩
●真言/おん あろりきや そわか

本堂

●宗派/天台宗 ●開基/行基

香川県さぬき市長尾西653
八十六番札所から約7km歩くと約2時間
駐車場50台(無料)納経所横

長尾の商店街に近く、町の人からは「お観音さん」と
親しまれ、近隣住人の憩いの場ともなっている。
また、毎年正月7日には大鏡餅と三宝(あわせて180kg)を
持ち上げて、歩いた距離を競う「大鏡力餅運搬競技大会」が行われる。

大師堂

天平年間に行基が柳の木に聖観音像を彫り
安置したのが始まりといわれている。
大同年間(806~810)弘法大師が訪れて
年頭七夜の護摩祈祷を行った。
唐から帰国後、大師は入唐の大願成就を感謝し
大日経一字一石の供養塔を建てたという。
その後、兵火により堂宇を焼失。
慶長年間(1596~1614)に、讃岐国守により
再興され、後、高松藩主により庇護され
松平家の祈願寺となった。
本堂は松平頼重により立てられたもので
葵の紋入りの丸瓦が残っている。
本尊の聖観音像は、たびたびの火災にも
不思議に無事で、秘仏としてまつられている。
松平頼重はこの本尊を、讃岐の主な観音像7体の中でも
随一だとして、「当国七観音随一」と指定したという。



八十七番札所の納経
八十七番札所の納経

☆一口メモ/経憧(きょうどう)
         経憧とは、写経を埋めた上に立てるもので、
         仁王門前に左右一対で立っている。
         西側のものには「弘安六年七月」
         東側のものには「弘安九年五月」とあり
         元寇の役の犠牲者のために立てられたものと思われる。
         重要文化財に指定されている。

        静御前剃髪塚         
         静御前がこの寺で得度した時に
         剃髪した髪を埋めたという。

お遍路の奇跡お遍路の奇跡
(2005/04)
杉浦 詩奈

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2009年12月04日 (金) | Edit |
補陀洛山 志度寺(ほだらくさん しどじ)
●本尊/十一面観世音菩薩
●真言/おん まか きゃろにきゃ そわか

本堂

●宗派/真言宗善通寺派 ●開基/藤原不比等

香川県さぬき市志度1102
八十五番札所から約7km歩くと約2時間
駐車場30台(無料)裏門横

堂々とした造りの仁王門(重要文化財)は
日本有数の名門とたたえられ、その中に収められた
仁王像は、鎌倉時代の運慶作といわれている。
広い境内には、左には五重塔がそびえ、右手には
書院が建っている。奥に広がる3000坪の庭は有名。

大師堂

推古天皇33年(625)創建と伝わる古寺。
薗子という尼が霊木で本尊を彫り、お堂を建てたのが始まり。
その後、藤原不比等が妻である海女の墓を建立して
「死度道場」と名づけた。その息子の房前(ふささき)が
行基とともに堂宇を拡張し、僧侶の学問所や修行の場となった。
本堂は、仁王門とともに讃岐藩主が、寛文10年(1671)に
寄進したもので、本尊とともに重要文化財に指定されている。



八十六番札所の納経
八十六番札所の納経

☆一口メモ/海女の墓
         房前が母の供養のために建立した   
         1000基の石塔の一部といわれ、
         約20基が並んでいる。

        曲水式庭園・無染庭(むせんてい)
         3000坪の広さがある庭園は、
         室町時代の四国管領・細川氏が
         代々寄進して作らせたもので、
         京都の竜安寺石庭を作った 
         細川勝元が完成させた。
         (見学料/大人200円)

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(2005/12)
種村 直樹

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2009年11月30日 (月) | Edit |
五剣山 八栗寺(ごけんざん やくりじ)
●本尊/聖観世音菩薩
●真言/おん あろりきや そわか

本堂

●宗派/真言宗大覚寺派 ●開基/弘法大師

香川県高松市牟礼町牟礼3416
八十四番札所から約7km歩くと2時間
駐車場400台(無料)ケーブル登山口前
(八栗ケーブル/大人往復900円・片道4分)

可愛い流線型のケーブルカー4分で山上駅に着く。
山上駅から境内まで200mほど歩く。
八栗寺本坊の前を左に行くと細長い境内が開かれ
多宝塔、大師堂、本堂、聖天堂等の堂塔が並ぶ。

ケーブルカー

本堂の背後のゴツゴツした山が五剣山。
入唐前の弘法大師がこの山に8つの焼き栗を埋めて
旅の無事を祈願したという。帰国後当地を訪れ
求聞持法(ぐもんじほう)を修した時、天から5本の剣が
降ってくるとともに蔵王権現の御神託があったという。
また8つの栗も無事に成長していたので
五剣山八栗寺と号した寺を建立したという。

大師堂

天正の兵火により焼失。文禄年間に無辺上人が再建。
江戸時代には、藩主松平家が諸堂を再建。松平家の祈願寺とした。
そのため、屋根には葵の門が入っている。
本尊の聖観世音菩薩は等身大で弘法大師の作と言われている。



八十五番札所の納経
八十五番札所の納経

☆一口メモ/聖天堂(しょうてんどう)
聖天堂
 
八栗の聖天さんとも呼ばれ、札所でも珍しい
歓喜天霊場としても知られている。
本尊は象頭人身の男女の神が抱き合った姿をしていて
高さ15cmの黄金の像で、50年に1度しか開帳しない秘仏。
商売繁盛、夫婦円満のご利益があるといわれている。

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