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2008年03月22日 (土) | Edit |
民衆仏教の幕開け!

延暦13年(794)桓武天皇は腐敗した仏教界に毒された
律令体制の立て直しをはかり、都を平安京に遷都。
平城京遷都では、有力寺院も新都に移されたが
平安京に移る時は奈良に残してきた。

戦乱・天災・疫病等で世は乱れ、民衆は末法の世におびえ
南都(奈良)仏教に変わる新しい仏教が切望されていた。
そんな時に登場したのが、唐から帰ってきた最澄と空海の
二人の留学僧だった。

四国別格霊場 第五番 大善寺
四国別格霊場 第五番 大善寺

最澄が開いた天台宗と、空海が開いた真言宗はともに
鎮護国家の仏教としての役割を果たすとともに、
得度・受戒の権限を国家から取り戻し、民衆救済の
実践仏教の基盤となる。それは現代につながる
日本の仏教の源となっている。

鎌倉時代になると、法然の浄土宗(念仏による往生を説く)
栄西の臨済宗・道元の曹洞宗(宋から禅を伝える)
法然の弟子、親鸞の浄土真宗(本願念仏による往生を説く)
そして日蓮の日蓮宗(唱題目による永遠の救いを説く)などの
仏教宗派が成立した。

浄土真宗本願寺派本山 西本願寺
(浄土真宗本願寺派本山 西本願寺)

平安時代までの国家や貴族中心の「旧仏教」に対し
「鎌倉新仏教」は、万民を救済の対象としており
念仏・禅・題目と、その教えは分かりやすく、また
誰にでもできることから、民衆の心をつかんでいった。
また、開祖がいずれも、比叡山で修行し、そこから離脱して
新しい教えを創立したという共通点を持つ。
とはいえ、鎌倉新仏教の基礎は最澄、そして
空海(弘法大師)が築いたものといえよう。

末法とは  
  釈迦の死後を正法・像法・末法の三つの時代に分ける。
  釈迦の教えが正しく行われている時代が正法、
  やがて形だけの像法の時代になり、末法になると
  仏道修行をしても効果が無いとされる。
  最澄は永承7年(1052)に末法に入ると説き、
  戦乱や災害が続く毎日に民衆も危機感を抱いていた。

空海の夢空海の夢
(2005/12)
松岡 正剛

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