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2008年03月22日 (土) | Edit |
空海(弘法大師)ってどんな人?

四国別格霊場 第六番龍光院の大師像
(四国別格霊場 第六番龍光院の大師像)

今なお人々から「お大師さん」と呼ばれ
高野山奥の院や四国霊場に参拝する人が絶えない
空海(弘法大師)の人生を調べてみた。

宝亀5年(774)6月15日、讃岐の国(香川県)
屏風が浦(びょうぶがうら)に誕生。
幼名は真魚(まお)という。
幼い頃から秀才の誉れ高く、
15歳で母方の伯父である阿刀大足(あとのおおたり)
に従って都(奈良)にのぼり、18歳で大学に入学。
しかし、大学で学ぶ儒教に自分の求めるものでは無いと思い
大学を中退し仏門に入ることを決意。
一修行僧から「虚空蔵求聞持法」(こくうぞうぐもんじほう)を
学び、各地の山野で修行する。
室戸岬にある洞窟(御蔵洞)で修行をしていたとき
口に明星が飛び込んできて悟りをひらく。そのとき
目にしていたものは、海と空だけであったという。
以後「空海」と名乗るようになった。
数年にわたる厳しい修業の後、大和の国の久米寺で
密教の根本経典のひとつ「大日経」七巻を発見。
三教指帰(さんごうしいき)を書き、儒教、道教、仏教の中で
仏教が最高の教えであると説き仏道に入る。
これ以後7年間の消息は不明である。

四国別格霊場 第九番文殊院の大師像
(四国別格霊場 第九番文殊院の大師像)

延暦23年(804)7月遣唐使として肥前(長崎県)
田の浦港を出航。船は嵐で流され、長安の都に
入ったのは12月のことであった。
この時、最澄も別の船で入唐している。
唐でサンスクリット語を学んでから青竜寺に入り
密教第七祖恵果より密教の正当な後継者として
1000人を超える弟子の中から選ばれ
密教の全てを伝授される。その時、恵果より
「遍照金剛」の名をいただく。

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浅野 妙恵

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