2009年07月07日 (火) | Edit |
熊野山 石手寺(くまのざん いしてじ)
●本尊/薬師如来
●真言/おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
●宗派/真言宗豊山派 ●開基/行基
●愛媛県松山市石手2-9-21
五十番札所より約2.8km歩くと約50分
駐車場30台(500円)寺入り口横
道を挟んで前にも有料駐車場あり
(こちらのほうが出入りしやすい)
四国霊場でも随一の寺宝・文化財を有する名刹。
やきもち屋やみやげ店が並ぶ回廊を抜けると
国宝の仁王門が「おおわらじ」とともに出迎えてくれる。
聖武天皇の勅願により建立。本尊の薬師如来は
翌年に行基が開眼。安養寺と名付けられ
法相宗に属していたが、弘法大師が真言宗に改めた。
石手寺と証するようになるのはもう少し後のこと。
この改称に あたっては伝説がある。
伊予の国の強欲な長者・衛門三郎は、托鉢をしていた
弘法大師に心ないふるまいをし、追い払った。
その後、8人の子が次々と亡くなったことから改心。
大師の後を追って霊場巡礼を始めたが、大師に会えぬまま
21回目の巡礼で十二番焼山寺で力尽きて倒れた。
その枕元に大師が現れ、手に「衛門三郎」と記した石を
握らせたところ、安心して息を引き取った。
その後、この地の領主・河野氏に嫡男が誕生したが
赤ん坊はなぜか手を開かない。安養寺に願をかけたところ
手が開き「衛門三郎」と記せられた石が出てきた。
石は寺に納められ、この時より名は石手寺となった。
入り口に「悔い改める衛門三郎」の像がある。
(衛門三郎はお遍路の元祖と言われる)
五十一番札所の納経
☆一口メモ/国宝三重塔
仁王門、本堂、鐘楼、銅鐘、護摩堂、石造五輪塔など
重要文化財や国宝が多い。その中でも本瓦葺き屋根の
和様の建造物である三重塔はひときわ目を引く。
☆お山四国八十八ヵ所
本堂の裏山と、もう一つの山の中にミニ八十八ヵ所がある。
その頂に大きい大師像がある。下から見ても大きいが、
近くで見ると本当にデカイ!
●本尊/薬師如来
●真言/おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
●宗派/真言宗豊山派 ●開基/行基
●愛媛県松山市石手2-9-21
五十番札所より約2.8km歩くと約50分
駐車場30台(500円)寺入り口横
道を挟んで前にも有料駐車場あり
(こちらのほうが出入りしやすい)
四国霊場でも随一の寺宝・文化財を有する名刹。
やきもち屋やみやげ店が並ぶ回廊を抜けると
国宝の仁王門が「おおわらじ」とともに出迎えてくれる。
聖武天皇の勅願により建立。本尊の薬師如来は
翌年に行基が開眼。安養寺と名付けられ
法相宗に属していたが、弘法大師が真言宗に改めた。
石手寺と証するようになるのはもう少し後のこと。
この改称に あたっては伝説がある。
伊予の国の強欲な長者・衛門三郎は、托鉢をしていた
弘法大師に心ないふるまいをし、追い払った。
その後、8人の子が次々と亡くなったことから改心。
大師の後を追って霊場巡礼を始めたが、大師に会えぬまま
21回目の巡礼で十二番焼山寺で力尽きて倒れた。
その枕元に大師が現れ、手に「衛門三郎」と記した石を
握らせたところ、安心して息を引き取った。
その後、この地の領主・河野氏に嫡男が誕生したが
赤ん坊はなぜか手を開かない。安養寺に願をかけたところ
手が開き「衛門三郎」と記せられた石が出てきた。
石は寺に納められ、この時より名は石手寺となった。
入り口に「悔い改める衛門三郎」の像がある。
(衛門三郎はお遍路の元祖と言われる)
五十一番札所の納経
☆一口メモ/国宝三重塔
仁王門、本堂、鐘楼、銅鐘、護摩堂、石造五輪塔など
重要文化財や国宝が多い。その中でも本瓦葺き屋根の
和様の建造物である三重塔はひときわ目を引く。
☆お山四国八十八ヵ所
本堂の裏山と、もう一つの山の中にミニ八十八ヵ所がある。
その頂に大きい大師像がある。下から見ても大きいが、
近くで見ると本当にデカイ!
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