2010年09月01日 (水) | Edit |
緒方井路 水車と原尻の滝
農林水産省が選定する疎水百選のひとつ緒方井路です
緒方町のいたるところに水路と水車が見られます
~緒方井路開削の歴史~
緒方井路開削は今をさかのぼること360年前の
1645年頃と伝えられている
元和9年(1623)阿蘇山が大噴火し灰燼が積もり
田畑に甚大な被害を及ぼした
加えて寛永4年(1627)虫害の大量発生による米価の騰貴
同13年には大干魃、同15年には牛疫の流行など打ち続く天災が
岡藩4代中川久盛公に農政の振興が焦眉の急務であることを痛感させ
井路開発をさせる動機となった
第5代中川久清公に引き継がれ、岡山藩の儒学者、熊沢蕃山を招き
この大事業を進めるに至った
その後の城主と多くの先人達の尊い努力で
出来上がった上下水路の活躍によって緒方「五千万の米どころ」
の名のごとく岡藩の財政を潤し、人は増え
緒方井路の基礎は完成した
原尻の滝
緒方平野を流れる高さ20メートル、幅120メートルの大きさの馬蹄形の滝
九州のナイアガラとも呼ばれ、日本の滝百選にも選ばれる
壮大な景観に圧巻させられます
農林水産省が選定する疎水百選のひとつ緒方井路です
緒方町のいたるところに水路と水車が見られます
~緒方井路開削の歴史~
緒方井路開削は今をさかのぼること360年前の
1645年頃と伝えられている
元和9年(1623)阿蘇山が大噴火し灰燼が積もり
田畑に甚大な被害を及ぼした
加えて寛永4年(1627)虫害の大量発生による米価の騰貴
同13年には大干魃、同15年には牛疫の流行など打ち続く天災が
岡藩4代中川久盛公に農政の振興が焦眉の急務であることを痛感させ
井路開発をさせる動機となった
第5代中川久清公に引き継がれ、岡山藩の儒学者、熊沢蕃山を招き
この大事業を進めるに至った
その後の城主と多くの先人達の尊い努力で
出来上がった上下水路の活躍によって緒方「五千万の米どころ」
の名のごとく岡藩の財政を潤し、人は増え
緒方井路の基礎は完成した
原尻の滝
緒方平野を流れる高さ20メートル、幅120メートルの大きさの馬蹄形の滝
九州のナイアガラとも呼ばれ、日本の滝百選にも選ばれる
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