2010年06月16日 (水) | Edit |
史跡 水城高松城跡
高松城は別名、玉藻城(たまもじょう)ともいい天正15年(1587)
豊臣秀吉から讃岐に封ぜられた生駒親正が翌16年(1588)に工を起こし
約3年の歳月を費やし天正18年(1590)に完成したが、
その縄張り、つまり設計は当時有名な築城家黒田孝高(如水)がしたとされる
高松城は全国にも珍しい水際城(一般には水城)の跡である
昔から「讃州さぬきの高松様の城が見えます波の上」と謡われた
城跡は昭和29年1月16日、松平公益会から高松市が譲り受け
翌30年5月5日、玉藻公園として一般市民に開放した
天守閣跡や石垣、堀などが遺存し国の史跡指定となっている
高松城は別名、玉藻城(たまもじょう)ともいい天正15年(1587)
豊臣秀吉から讃岐に封ぜられた生駒親正が翌16年(1588)に工を起こし
約3年の歳月を費やし天正18年(1590)に完成したが、
その縄張り、つまり設計は当時有名な築城家黒田孝高(如水)がしたとされる
高松城は全国にも珍しい水際城(一般には水城)の跡である
昔から「讃州さぬきの高松様の城が見えます波の上」と謡われた
城跡は昭和29年1月16日、松平公益会から高松市が譲り受け
翌30年5月5日、玉藻公園として一般市民に開放した
天守閣跡や石垣、堀などが遺存し国の史跡指定となっている
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